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母と私の○○○戦争

数日前子ども時代の私が作り上げた物語のことを書きました。

 

三つ子の魂百まで


この物語の私は家の中で親類の中で孤軍奮闘するお母さんを守りたいヒロインで、母は母で苦しい環境の中で孤独に頑張るやっぱりヒロインで。
そんな母娘の関係はそれはそれは密接なものでした。
通常はね、子どもがある程度の年齢まで成長すれば自分の世界を持つようになって、母親ばかりを優先はしないのですけれど、私はなにせ、「お母さんを守らなきゃ」と決心してるので、その母娘の関係はつい最近まで続いてました。
 
そしてそんな私の「お母さんを守らなきゃ」の根底は、「守ってあげるから、私を愛してね」なんですね。
当然のように私自身は、母ともっと解りあいたいとか、理解したい理解してほしいという気持ちを持ってた。
 
でもねぇ悲しいかな、血が繋がった母娘でも、一見とても深い絆で結ばれているように見えても、やっぱり別の人。
違う考え、違う物の見方、違う世界観を持っていて、根本的な部分では、やっぱり何をどうしても解りあえない部分がある。
 
唐突にまたドラマの話になりますけど(笑)「逃げるは恥だが役に立つ」のヒロインみくりさんは、元カレから「お前小賢しいんだよ!」と言われたことがあるそうで。
自分のことを開き直って「小賢しい女」と言ってはばからない彼女は、大学院を出て臨床心理士を持っているだけあって観察力分析力に優れている。
相手のことをいろいろ分析しちゃう癖があり、それが小賢しいと言われちゃう所以。
 
私もね、すんごい分析屋さんなんです。
臨床心理士は持ってないけど、心理学は勉強したし仕事もまあ相談業務をずっとやってて。
 
心のことに興味を持ったのは、自分のことを知りたかった、からなのですが多分ね、「誰かと(私の場合は母と)深く解りあいたかった」のも大きかったのだと思います。
 
みくりさんは契約結婚相手の平匡さんの心の壁の中に何とか入ろうはいろうと奮闘してますが、私は私で母の心の壁の中に何とか入りたかった。
 
母は、ほんと、今なら言える。鉄の女だよあの人。笑
舅(私にはおじいちゃんね)と折り合いが悪かったにも関わらず、母は祖父の介護をし、最期を看取りました。自宅で看取ったんだよー、ヘルパーも入ってなかった。その時期私は家を出ていて、姉は実家にいたけど、母は誰かに介護を手伝ってもらうということがほとんどなかったようです。
 
その間、愚痴も零さず、文句も言わず。辛いとも苦しいとも一言も言わず。
周囲の手を全部断って。
でもね、祖父が亡くなった後、祖父の服を庭で燃やしたんだって。
 
こ え ぇ よ ・・・!
そんなに鬱憤溜まってたんなら、手伝ってって一言言ってよ!てか手伝うって何回も言ったじゃん!
ヘルパーさん頼むことも出来たじゃん!その辺の手続きは私詳しいよ、って何回も言ったじゃん。
 
そしてその頃痛めた腰が時々痛いと今も言います。
 
まだまだ、「お母さんを助けたい」モードだった頃の私はそのことに、非常に罪悪感を抱え、母を守りたい思いをさらに強化させました。
さらに、「つらいことがあるなら私には話してよ」ってメッセージを何度も出すようになりました。
 
話せば少しは楽になるかもしれないじゃない。手伝えることがあるかも知れないじゃない。
 
が私の主張。
でも自分の本音を語るということが、ものすごくハードルの高い人も世の中にはいるんだよね。世代もあるよね。
 
もしかしたら母にとっては自分の中にあるドロッとした部分を見透かされることは死ぬより屈辱なのかもしれません。
人の手を借りずに自分の力でやりたいのかもしれません。
 
まあ真相は解りませんが、いずれにせよ根本的に考え方が違う。まさにね。
 
そこをね、なんでわかんないの!なんでわかってくれないの!と母娘で取っ組み合ってきた40数年。
今までは必至だったのよ。一生懸命で地団太踏む思い思いだったのよ。
 
この前提には「人と人とは解りあえる」がありました。ましてや「親子なんだから解りあえて当然」がありました。
でもね、びっくりするほど考え方が違うんです。物の見方が違うです。大事にしているものが違うんです。
 
今になって、やっと、やっと、あれれ?もしかして、「解りあう」のって無理じゃね?ということが解ったというか、気付いちゃったっていうか。
そうなると、今まで「解りあうために」してきた努力って何だったん?ていう話なのですが。
 
でもね多分、「解りあうのは無理」って一回諦めてみるっていうのはもしかしたらすごく大事なことなのかもしれません。
だって無理なら、「なんで解ってくれないの?!」ってキーってなる必要もないし。
解りあおうと努力して、やっぱり無理だったってがっかりすることもないし。
なにより、そっか、私はこう思うけどあなたはそう思うのね、そっか、って相手の思いや大事にしているものを、理解は出来なくても尊重できるじゃないですか。
 
それってすごく優しい生き方だと思うんだ。自分にも、相手にも。
そんなことに気付くのに、40数年かかっちゃった件。あいたたた。