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インナーチャイルドって

今週のしいたけ占い。
 
http://voguegirl.jp/horoscope/shitake/leo/20161024/
 
あー、しいたけさーん、やっぱり好きー。
ファンです。キリッ( ・`д・´)
 
しいたけさんによると、今年のしし座さんは、『空前絶後のメンテナンスをしていた』というイメージらしい。
 
 
私にとってのメンテナンスというのは、自身のインナーチャイルドと、改めて向き合っていた、という感じ。
 
インナーチャイルド wiki抜粋……しようと思ったら項目がなかった。マジか。
と言うわけでこちらから引用させていただきます。
 
インナーチャイルドの基礎知識
 
http://innerchild.money-pop.com
 
インナーチャイルド」とは、「内なる子供」と訳されますが、具体的には子供時代の頃の記憶や心情、感傷の事を指します。子供時代の経験が、大人になった自分に多くの影響を与えていることはご存知でしょうか?
性格というのは、もちろん持って生まれた素質によるものというものもありますが、他にとても大事な要素が環境です。そう、人の人生は環境によって大きく左右されます。そこでこのインナーチャイルドが関係してきます。
例えば、同じ兄弟でも、兄はいつも誉められ弟はいつも認められず叱られてばかり、というような環境だったとします。いつも誉められて育った兄は、自分に自信を持って堂々とやれる人生を歩くことができます。
認められずに育った弟は子供時代の劣等感が抜けずそれが、社会に出てもその誰にも認められないという思い込みがその人の人生に大きく影響してくるのです。
 
 
 
まあ、こう書いてありますが、インナーチャイルドといっても捉え方はいろいろ、解釈もいろいろ、感じ方もいろいろ。
で、心理学の世界では、よく、このインナーチャイルドを癒そう、ということが語られたりします。
 


私が自分のインナーチャイルドをイメージする時、その子はお腹の下の方、奥の奥の暗くて静かな場所で、なんなら更に段ボールみたいな箱の中に入って膝を抱えています。他者と関わることを拒否して逃げる子ども。
 
人には、表向きの性質と、隠されて表からはあまり視えない性質とが、あると思います。
インナーチャイルドと言うのは、どちらかと言えば、隠されて他者からは視えづらい部分を表してると思う(あ、これは私解釈なので、インナーチャイルドのこと調べても、多分そんな書き方はしてないと思われます)
 
私の対外的な性質というと、どちらかと言えば社交的で空気も読めるし、初対面の人ともある程度和気藹々と会話できる。コミュニケーションスキルは高いのではないかと思われます。
一方で、隠された部分としては、箱の中に入っていたいくらいだから、とにかく他者とのかかわりを避けて逃げたいと感じている。
この、隠れて見つからないように逃げて逃げてってしてる部分が私のインナーチャイルド
 
で、で、なんでこの子は逃げよう逃げようとしているのかというと、子どもの頃のちょっとした経験が原因だったりします。まだ赤ちゃんで自分では何もできない頃、濡れたおむつが不快で泣いてたら、機嫌の悪いお母さんに「静かにしなさい!」って怒られた、とか。
怒られたことなんて10回に1回、20回に1回だったのかもしれない。
普段のお母さんは大抵優しかったけれど、その時は頭が痛くて機嫌が悪かっただけなのかも。
でも、そのたった1回でうっかり思い込んでしまった。
 
怒られるくらいなら何も言わずに我慢した方が良い。
や、大人になってから考えたら、20回に1回くらいなら、やっぱり言った方がいいよね?てなるんですけど、まあ子どもの頃のことですから。つまりそう勘違いしたと。
 
そもそも、引きこもる性質の人ほど本当は他人と関わりたい欲求が強い気もします。他人と深く関わりたいから逆に失敗を過剰に怖がるみたいなね。
人と関わりたい、でも怖い、関わりたい、怖い、の二律背反。
 
社交性の高い人も、引きこもりの人も、性質としては大抵両方持っていると思う。どっちの性質がたまたま表に出ているかだけ。
引きこもりの人の中には、本当は人懐っこくて人と繋がりたくて仕方のない子どもがいて、それが出来ないことに、とても傷ついているんじゃないのかな?と思う。
 
 
インナーチャイルドについて話そうとすると、いわゆる「未完了の仕事」と切り離しては語れなかったりします。「未完了の仕事」あるいは「未完了の感情」。表現としては「感情」の方が解りやすいかな。
良い感じの引用ページが見つからなかったので簡単に説明すると、例えば、過去に「言えなかった言葉、気持ち」「表現できなかった感情」とかの体験が、心の中に今も緊張感とか不満とともに残ってしまっていて、それが今現在の自分の経験に影響を与えている状態を言います。
 
子どものころ、お母さんに甘えたかった、自分の方を観てほしかった。でもお母さんはなんだか忙しそうで、ちょっと機嫌も悪くて、「お母さんこっちみて」「お母さん聞いて」って言えなかった。その、寂しい気持ち。
言いたくても言えなかった言葉、伝えられなかった気持ち、それらの感情が大人になってからも、「今の私」に影響を与え、言っても無駄なんでしょ?ってコミュニケーション自体を諦めてしまっているような状態。
 


私自身の話に戻ると、対外的には社交性もあって協調性もあって空気も読める私の中に、何かあるとすぐに自分の部屋にすぐ逃げ込んでしまう幼い子どもがいて。
 
その子を、でも、社会で生きていくためにはある意味無視して生きてきた。

まあ、社会人やろうと思ったら、やなことある度に逃げてたら仕事にならんしな。
でもそんな理屈は無視された子どもには関係なくてその子はどんどん傷ついていっていて。
 
 
だから、もう一度、その無視してしまったその子をちゃんと観る。
自分の中に確かにあるのにないことにしてきた部分にしっかり目を向ける。
 
 
さっきも書いたけど、心理学の世界では、インナーチャイルドを癒すとか、よく言うんです。でも、インナーチャイルドの傷、言い方を変えればトラウマとなると思いますが、そんなのなくすことなんてできないの。だって人は、生きてく中で無数の傷を経験するから。
 
なんなら、ピンクのリボンと水色のリボンがあって、ほんとはピンクが欲しかったけど妹がピンクを欲しがったから水色で良いよって言った、そんな経験すら傷なのです。
その傷を一個一個治そうと思ったら、多分一生が終わっちゃう。
 
人は、傷があってもいい。
なんならその傷が個性だったりするかもしれない。
だからね、インナーチャイルドは癒すものじゃなくて、うまく付き合っていくものなんです。
 
傷ついた経験だって、それを癒すとかなくすとかじゃなくて、認めてめてうまく付き合っていく。付き合い方を知る。

それが、私の空前絶後のメンテナンスで、今も継続中だったりします。